日経平均株価の上昇率ランキングです。過去から現在まで歴代の日別の急騰・急伸記録ベスト10。東京市場の日経225の1日の値上がり率の順位になります。上昇幅ではなく、比率(パーセント)です。日経新聞のヒストリカル・データやスナップアップ投資顧問のレポートなどを参考にしました。「ブラックマンデー」「バブル崩壊」「リーマンショック」「コロナウイルス」など歴史的な急落相場における一時的な反発・反転が上位を占めています。


日本の株価急騰(歴代の記録)

■ 日経平均の上昇率ランキング(日別、%)
順位 年月日 上昇率 理由・背景
2008年10月14日(火曜)~3連休明け

【リーマンショックのさなかの一時的な反発】
14.15%

8276円43銭→9447円57銭
(1171円14銭高)
世界的な金融危機「リーマン・ショック」による急落相場の中で起きた一時的な急反発。リーマン危機の局面ではしばらく株価の乱高下が激しくなり、「暴落」と「高騰」が繰り返された。

「体育の日」を含む日本の3連休中に開催されたG7(主要7カ国財務相・中央銀行総裁会議)において、先進主要国が一致して金融危機に対処することで合意した。また、危機の震源地であるアメリカでは、政府が大手銀行に対する公的資金の注入に踏み切る見通しとなった。

これを受けて、連休明け10月14日の東京市場は急騰。不動産、金融、商社、自動車、建機など、直近の相場で悪役視された銘柄に買いが殺到した。トヨタ、ソニー、三菱商事、野村ホールディングス、みずほ銀行、三菱地所など、文字通り「日本を代表する主要銘柄」にストップ高が相次いだ。まさに「谷深ければ山高し」を地でいくかのような相場展開だった。

米大手証券リーマン・ブラザーズの倒産(2008年9月15日)の後、株式市場は異様なほどの弱気ムードに支配されていた。日経平均はこの日の前週末までの12日間で1勝11敗。12日間の下落幅は3838円にのぼり、下落率は31・7%だった。

この日の急反転により、12日間の下落分の3分の1を戻した。しかし、反発は長続きしなかった。信用不安は解消されず、すぐに弱気相場に回帰。2週間後に日経平均は一時6000円台まで下落し、バブル崩壊後の最安値を付けることになる。
1990年10月2日(火曜)

【バブル崩壊局面での一時的な急反発】
13.24%

2万221円86銭→2万2898円41銭
(2676円55銭高)
1990年の日本は、年が明けると同時に、未曽有の財テクバブルが破裂した。日経平均は前年暮れ(1989年12月29日)に史上最高値(3万8915円)をつけていたが、それをピークに下落基調へと大転換。わずか9カ月で半値になっていた。

相場低迷は長期的に続くことになるが、その序盤の局面において、何度か一時的な急反発を見せた。その代表的な日が、1990年10月2日である。この日の上昇は、値上がり率(パーセンテージ)が歴代2位というだけでなく、上昇幅(実数)として歴代最高記録を保持している(2020年4月1日現在)。

大蔵省(現・財務省)はこの日、株価テコ入れ策を発表した。空売り(信用取引)に必要な担保の掛け目を現在の70%から80%に引き上げるなどの内容だった。

投資家はこのテコ入れ策を好感した。取引開始直後から電機、鉄鋼、銀行株などが軒並み買いを集めた。一方、売りはほとんどなかった。午前中は一時、東証一部銘柄の約半数に当たる600銘柄前後が買い気配のまま値がつかなかないほどだった。三井造船など造船業、伊藤忠商事など商社、さらに野村証券など金融業と幅広い業種でストップ高が相次いだ。

前週に3年7カ月ぶりに2万円を割り込んでいた日経平均は、4営業日ぶりに2万2000円台を回復。市場では「株価は底値を打った」という楽観的な見方が出た。バブル特有の甘いムードがまだ残っていた。

しかし、結局は一時的な上昇にすぎなかった。この後も景気低迷が続き、日本は本格的なデフレ時代へと突入。「失われた10年」を迎えることになった。
1949年12月15日(木曜)

【戦後のデフレ不況下の一時的な反発】
11.29%

98円50銭→109円62銭
(11円12銭高)
第二次世界大戦で壊滅的な打撃を受けた日本経済は、急激なインフレ(物価上昇)に悩まされた。これに対して、日本を占領していた米国は「ドッジ・ライン」と呼ばれるインフレ抑制策を断行する。緊縮財政などによる経済・金融の引き締めである。これによって物価は抑えられたものの、デフレ不況に陥る。再開して間もない東京株式市場の平均株価は、1949年11月中旬から下旬にかけて13日営業日にわたって下落を続けた。

この一本調子の下落に対して、さすがに反動が起きた。それが、この日の歴史的な急騰である。

しかし、反発は長続きしなかった。この翌年の1950年7月6日に日経平均は歴代最安値となる85.25円を記録する。これは現在にいたるまで史上最安値となっている。

なお、東証が現在の算出方式(修正平均株価)で平均株価の計算を開始したのは、1950年9月7日である。当時の名称は「東証第1部修正平均株価」だった。この際に1949年5月16日までさかのぼって算出した。つまり、1949年の平均株価は、算出が始まる前の記録である。
2008年10月30日(木曜)

【リーマンショックのさなかの一時的な反発】
9.96%

8211円90銭→9029円76銭
(817円86銭高)
リーマン・ショックの暴落により、日経平均株価は2008年10月27日にバブル崩壊後の最安値(終値ベース)となる7162円90銭に落ち込んだ。 これを受けて割安感が広がり、翌28日から3営業日連続で上げた。上昇幅は3日間で1900円近くに達した。この3連騰の最終日が、10月30日である。7営業日ぶりに心理的な節目となる9000円の大台を回復した。

このころ各国が景気下支えのため協調利下げに向け動きだし、米連邦準備制度理事会(FRB)がブラジル、メキシコなど新興国向けにドル資金を融通する対策を発表した。世界的な金融市場の混乱が収束するとの期待が膨らんだ。

また、円高が一段落したことも好感された。外為市場では、ドル、ユーロともに円に対して買い戻され、一時、1ドル=99円台、1ユーロ=131円台を付ける円安となった。円高による輸出関連企業の業績悪化懸念がやや後退し、割安感が出ていた銘柄を買う動きが加速した。
1987年10月21日(水曜)

【ブラックマンデーの翌日の戻し】
9.30%

2万1910円8銭→2万3947円40銭
(2037円32銭高)
歴史的な大暴落となったブラックマンデーは、1987年(昭和62年)10月19日(月曜日)に米国で起きた。日本では翌日の20日(火曜日)に相場が急落した。

ブラックマンデーでは、日経平均の下落率は実に14.9%にも達し、3836円の大幅安だった。ソ連(現ロシア)首相のスターリン死去に伴う1953年(昭和28年)3月5日のスターリン暴落時の10%を上回る深刻な事態となった。まさに「パニック売り」である。売り注文が多過ぎて、商いが成立しないまま、株価の気配値がぐんぐん下がった。

しかし、先進各国が株式大暴落への防止策を明確にした。これが好感され、10月21日(水曜)の日経平均は前日の暴落分の53・1%を戻した。半値強の戻しだった。

上昇幅は当時として過去最高。上昇率は9.3%で、1949年12月15日の11.29%に次いで当時として史上第2位。

鉄鋼や重工などの大型株が買われ、重電株の一角もにぎわった。株価の戻り歩調が強まる中で、この翌月に政府保有分の第2次放出を予定していたNTT(日本電信電話)株もジリ高となった。

東証1部上場の株式1100銘柄のうちこの日値上がりしたのは693銘柄。値下がりしたのは27銘柄だけだった。東京市場が急騰したことが好感され、その後に開いた海外市場も反発した。
2020年3月25日(水曜)

【コロナウイルス危機のさなかの急反発】
8.04%

1万8092円35銭→1万9546円63銭
(1454円28銭高)
コロナウイルスの大流行により、2020年2月末から3月にかけて世界的な株価大暴落が起きたが、そのさなかに何度か急反発が起きた。とりわけ3月25日は、歴史的な上昇率を記録した。

この前日、アメリカのトランプ政権は巨額の経済対策を打ち出し、米議会もそれを受け入れる見通しとなった。また、東京オリンピックが1年延期されると決まったことで開催時期をめぐる不透明感がひとまず払拭(ふっしょく)された。

市場では買い戻しの動きが強まり、日経平均株価は約2週間ぶりに1万9000円台を回復。値上がり幅も1000円を大きく上回った。
1997年11月17日(月曜)

【拓銀の倒産で、銀行への公的資金注入に期待高まる】
7.96%

1万5082円52銭→1万6283円32銭
(1200円80銭高)
この日の朝、北海道拓殖銀行(略称「拓銀」、本店:札幌市)が破たんするという大ニュースが日本列島を駆けめぐった。全国的な活動を業務とする都市銀行が破たんするのは、日本の金融史上初めてのことだった。

これを受けて、株式相場では「金融機関全体の不良債権処理に、公的資金が導入されるのでは」との期待感が広がった。銀行、証券株を中心にほぼ全面高の展開。東証1部の9割近くに当たる1166銘柄が値上がりした。

上昇率は当時としては戦後4番目(7・96%)。7営業日ぶりに1万6000円台を回復した。

また、日本政府に対し財政出動による内需拡大を求める米国のサマーズ財務副長官の発言が伝わったことも、相場を後押しした。

拓銀は1900年(明治33年)に設立され、都市銀行の一角を占めながら北海道経済を資金面から支えてきた名門銀行だった。

拓銀に限らず、バブル崩壊によって金融機関は巨額の不良債権を抱えており、「平成金融危機」とも呼ばれた。拓銀の破たんは、政府(自民党の橋本内閣)がいよいよ大胆な解決策に動くという憶測を呼んだ。

しかし、この1週間後には山一証券が廃業に追い込まれる。翌年には、長銀や日債銀などが次々と破綻し、株価はさらに下落した。
1994年1月31日(月曜)

【細川連立政権の大型景気対策への期待】
7.84%

1万8757円88銭→2万229円12銭
(1471円24銭高)
この日、非自民党の細川連立政権の公約だった「政治改革関連法」が国会で成立した。衆院選挙の小選挙区制の導入などが盛り込まれており、戦後政治の大きな節目となった。これにより、細川政権がようやく景気対策に本腰を入れられる、との期待が広がった。

1990年にバブル経済が崩壊した後、すでに過去3度、計30兆円の景気刺激策が行われていた。細川政権がこれをさらに上回る経済対策を断行し、今度こそ景気が上向くだろうと予想する投資家が少なくなかった。

この楽観論を背景に、この日の日経平均は2万円の大台を回復。「本格的な上昇相場のスタート」との声が早くも上がり始めた。日本経済は1970年代の石油ショックや1980年代半ば円高などの危機を乗り越えてきた実績があり、外国人投資家もまだ強気だった。日本が長期的なデフレ経済に突入したという認識はまだそれほど浸透していなかったのだ。
2008年10月29日(水曜)

【リーマンショックのさなかの一時的な反発】
7.74%

7621円92銭→8211円90銭
(589円98銭高)
この日の前日、日経平均は一時、約26年ぶりに7000円を割り込み、バブル後の最安値を記録つけたが、その後は割安感から値を戻して引けた。

迎えた翌日、為替相場が対ドルで3円以上の円安に振れたことから、輸出関連株を中心に買いが優勢となった。電機や自動車が9%以上値上がりするなど33業種の大半が上昇した。

政府が空売り規制の前倒し実施を決め、株価下落に歯止めがかかるとの期待も高まった。アジアの主要市場も、香港が14%以上の大幅高となり、中国・上海や韓国、台湾などで株価が持ち直したことも、支援材料となった。

しかし、上昇転換とはならず、しばらく下値でもたつく状態が半年ほど続いた。
10 2015年9月9日(水曜)

【中国経済への不安の払しょく】
7.71%

1万7427円8銭→1万8770円51銭
(1343円43銭高)
世界市場をリードする中国経済の減速懸念が和らぎ、全面高となった。上げ幅としては、1994年1月31日以来、約21年7カ月ぶりの大きさで、過去6番目の記録だった。

前日夜、中国財務省がインフラ(社会基盤)投資や減税などの景気対策を進める方針を発表。これを受けて欧米の株価が大幅に値上がりした。

東京市場でも投資家の心理が改善し、取引開始直後から大幅高で始まった。さらに中国の上海市場で株価が上昇すると上げ幅を拡大。東証1部に上場する銘柄の約99%が値上がりした。

米国の中央銀行にあたる連邦準備制度理事会(FRB)が年内に行うとみられている利上げの時期が遠のいたとの見方も、株価にプラスに働いた。

さらに、為替相場が1ドル120円台前半の円安で推移したことで、輸出関連銘柄の業績改善につながるとの見方から、買い注文が一段と膨らんだ。