協調介入による円高ドル安

心情的に保護貿易主義が支持されがちな米国で、粘り強く自由貿易の正当性を主張し続けているグループが存在していることは重要だ。日本としては短期的な利害という視点から自由貿易を主張するのではなく、管理貿易へと向かう長期的な流れを阻止し、世界経済を拡大均衡させるための体系として自由貿易を堅持していかなければならない。

  1. (1)貿易摩擦が感情的な論議になることを防ぐ。
  2. (2)保護主義は消費者に負担増をもたらすなどデメリットが大きいことを米国民に周知させる。

1980年代のレーガン政権時代

1985年9月22日のG5を契機とする急速な円高ドル安の進行によって、米国の保護主義の動きは急速に沈静化した感もたしかにある。

今回のG5による協調介入が実効を上げているのは、ほかならぬ米国が政策転換を図り、主導性を発揮したことによる。

政策転換の狙いとしてはむろん「保護主義の抑制」もある。同時に、以下の問題が顕在化した。

  1. (1)ドル高デフレによる米国産業の競争力低下への懸念
  2. (2)途上国累積債務問題再燃の危険
  3. (3)貿易収支赤字とドル高・高金利の継続による米国自身の対外債務国への転落(1985年6月末の対外純資産マイナス160億円)

これによって、レーガン政権としても政策基調の変更を余儀なくされた。

「強いドル」を「強い米国」

第一期レーガン政権は、「強いドル」を「強い米国」の象徴とし、貿易赤字・財政赤字を抱えながらも高金利を続け世界中のドルを吸収して米国経済を切り回してきた。この基本シナリオを180度転換させた。

政権内部の政策指導力の変化を指摘する者もある。とくに本来はブッシュ副大統領の筆頭参謀であり、第一期レーガン政権の首席補佐官から横すべりしたベーカー財務長官とそのグループの台頭が注目される。

あれだけ大騒ぎした反日・保護主義の問題が急速にしぼんでしまったこと自体が、議会に冷静な指導力が存在していないという不安材料の証明である。保護主義をとりまくファンダメンタルズはドルの低下以外には何も変わっていないことを忘れてはならない。

貿易摩擦

1950年代の繊維製品をめぐる日米間の貿易摩擦は、1970年代には鉄鋼、カラーテレビ、1980年代に入り自動車、ハイテク・情報産業分野の摩擦へと拡大深化してきた。今後、日米の産業が発展を志向している分野での競合関係を考えた場合、摩擦の構造的継続を覚悟していく必要があろう。とりわけ1986年は米国の中間選挙の年であり、この問題が政治的争点となる可能性は大きい。

建前として「自由貿易・開放経済の重要性」が主張されているにもかかわらず、全般的には世界貿易は管理化の傾向を強めている。少なくとも貿易にかかわる政治的要素が高まっており、政治的条件付きの国際取引に取り組まざるをえないケースが増えている。

世界貿易に占める管理された貿易の比重は約5割に達した。これは、GATTで認められた輸入制限措置以外にOMA(市場秩序維持協定)、VRE(輸出自主規制)などGATT枠外の貿易規制を含むものであり、保護主義の動きの中でこの比重は確実に高まり続けている。